納得行かない。
私は渡された紙に怒りの気持ちを込めてもう一度内容を見つめる。
最初に見たのと変わりない数字がそこには踊っている。
「いつもと変わりなく勉強していたのに、どうして?」
納得の行かない疑問が今度は口をついて出る。
先ほどから見つめている紙に書かれているのは先日行われたテストの結果をまとめたもの。
そこに記されていたのは、予想していたほど上がっていない点数。
勉強していなかったわけではない。
机に向かっていた時間自体はいつもと同じ、ううん、いつも以上だったと思っている。
体の調子も悪かったわけではないのに?
何回も首をひねったりしてみても目に映る成績は変わらない。
「受験が近いって言うのに、こんなことではダメね……もっともっと勉強しなくては」
私はため息を一つだけつくと、いまいましい数字が踊っている紙をカバンの奥にしまいこんだ。
「もう少し勉強の量を増やした方がよいのかしら?」
「それとも、早寝早起きして勉強を朝した方が効率良く出来るのかしら?」
帰宅の途中、頭に浮かんでくるのは勉強の事ばかり。
ああでもない、こうでもないと勉強法を考える。
そんな私の耳に「にかいーどーさーん」という大きな声がバタバタと足音を立てて近づいてくる。
私は足を止めて近づいてくる元気な声を待つ。
足音がますます大きくなり、右手を大きく振りながら駆け寄ってきたのは友達の工藤翼子さん。
「今帰り?途中まで一緒に帰ろうよ〜」
後でまとめた髪を揺らしながら元気一杯なのは初めて会った時とまったく変わらない。
「いいわよ、行きましょう」
肩を並べて私たちは歩調を合わせた。
「二階堂さんどうしたの?」
しばらく他愛のない話しをしながら歩いていた私たちの会話は工藤さんのそんな疑問の声に一瞬止まる。
「何か表情が怖いよ、お昼足りなかったの?」
お喋りしていても頭の中によぎる勉強の事が私の表情を固くしていたようだ。
「お昼は充分食べたわよ」
食いしん坊の工藤さんらしい質問に思わず苦笑いする。
「ただ、ね。ちょっと今回のテストの成績が納得行かなくって」
髪をちょっとかき上げながら悩みを口にする。
「え、そうなの?成績見せてよ」
そんな工藤さんの質問に私は忌々しい数字の踊っている表をカバンから取り出す。
「えーっ、二階堂さん良い成績だよぅこれ!」
工藤さんが私の成績表を天にかざすように見ながら大きな声を上げる。
「だって、学年で2位だよ。すごいじゃない!」
工藤さんの反応は確かに普通なのかもしれない。
でも、1位になれなかった悔しさはあるし、目標としていた点数アップまで行かなかったのもまた確かなのだ。
「いいえ、これではダメよ。受験も近いんだからもっともっと頑張らないと」
私は腕組みをして首を振る。
「それより、工藤さんはどうだったの?このごろ勉強頑張っているみたいだし」
3年になるまでは部活ばっかりで成績の方はあまり芳しいとはいえなかった工藤さんが、このごろ猛勉強しているという噂で、確かに成績もぐんぐん上がっている。
「え、私?……えへへへ」
ちょっと照れたように笑った工藤さんが成績表を取り出す。
そこには前回より更に上位の成績が記されていた。
「すごいじゃない、また成績が上がっているわ」
素直に感心の言葉を口にする。
「ありがとー」
工藤さんも満面の笑みを返してくれる。
「どうやって勉強しているの?時間はどのくらい?夜とか朝とかに集中するとか?」
少しでもヒントが欲しい私は矢継ぎ早に工藤さんに質問する。
「え、確かに勉強頑張っているけど、二階堂さんほどじゃないよー」
いきなりの質問攻めに工藤さんが慌てたように右手を振る。
「いいから教えて!」
そんな工藤さんに迫りながら聞いた答えは私を満足するものではなかった。
「でも、成績どんどん上がっているわよね」
何となく納得行かない私は疑問口調の声を出してしまう。
「私の場合元が成績悪かったから……二階堂さんみたいにトップクラスから点数上げるのとは違うよ」
工藤さんの答えもまたもっともだ。
「そうよねぇ……」
それでも、自分に満足がいかない不満が私の言葉を歯切れ悪くさせてしまう。
「……二階堂さんっ!」
私は工藤さんの元気な声にふと我に返る。
「どうしたの?さっきから黙っちゃって」
隣の工藤さんを全く無視した私はまたあれこれと勉強の事を考えてしまっていたのだ。
「ごめんなさいね、どうしても勉強の事が頭から離れなくって」
素直に悩みを口にした私に工藤さんもう〜んと考え込んむ。
「そうだ!」
何かに気が付いたように工藤さんがポンと手を叩く。
「良い事考えたよ!今度皆でクリスマスパーティーやるから二階堂さんも一緒に行こうよ」
「え?」
いきなりの提案にビックリして私は固まってしまう。
「でね、その時のお土産に一人一品何か持っていくんだけど、一緒に作っていこうよ」
固まったままの私に工藤さんがどんどん言葉を続ける。
「ねぇねぇ、何作っていこうかこれからパフェでも食べながら相談しない?」
「何を言っているの!」
工藤さんの言葉をさえぎるような大きな声が出てしまう。
「私たちは受験生、クリスマスパーティーなんてやっている暇なんてないのよ」
勉強についてあれこれと考えていたことを簡単に否定されたような気持ちになって言葉を続ける。
「これから追い込みの一番大切な時なのよ」
そこまで大きな声を出し続けた私はふと気付いてハッとなる。
ちがうわ、そんなのではないのだ。
工藤さんはあれこれ悩んでいる私のために気分転換を持ちかけてくれたのだ。
そうだ。それなのに、頭ごなしに大きな声を出してしまうなんて。
沈黙の時が続き、私は後悔の気持ちを大きくする。
折角工藤さんが私のことを気遣ってくれたのに、それを台無しにしてしまった私。
「ごめんなさい」を言わなきゃ。
お詫びの言葉を口にしようとした私に工藤さんが見せた反応はまた思いもつかないものだった。
「えへへへへ、そうだよねぇ。ごめんね、変な事言っちゃって」
工藤さんは満面の笑みを浮かべていたのだ。
「私ももっと勉強頑張ろう!そうだ、二階堂さん勉強教えてくれない?数学でわからないところがあるんだぁ」
どうして、笑顔なの?私、あんなひどい言い方してしまったのに??
変わらない満面の笑みを浮かべる工藤さんに私は戸惑ってしまう。
「え、ええと今日はちょっと都合悪いから……そう、明日の放課後工藤さんの教室でどうかしら?」
さっき大きな声を出した後ろめたさと工藤さんの明るい笑顔に声が裏返ってしまう。
「いいのぅ?やったぁ!ありがとう、助かるわぁ!楽しみ〜」
私の返事に工藤さんがこれ以上ないような明るい声で喜びを表現する。
「あ、そうしたら私ここ曲がるから」
いつの間に二人が別れる曲がり角まで歩いて来ていた事に気付く。
「じゃぁねぇ〜明日よろしくね!」
満面の笑顔はそのままに、工藤さんが大きく右手を振って走り去っていく。
私は小さく右手を振り返しながら工藤さんの元気な足音が聞こえなくなるまでそこに立ち尽くしていた。
わからない。
私は時々「むつかしいなぁ」とつぶやきながらもニコニコと数学の問題を解いている工藤さんを疑問の表情を浮かべて眺める。
昨日のお詫びはまだ口から出せていない。
何となく気まずさを心のどこかに持っている私に対して工藤さんは何事もなかったかのような笑顔。
彼女は、どうしてこんなに楽しそうなのだろう?
勉強であれこれ悩んでいる私はどうしてなのだろうという疑問を拭い去る事が出来ないまま彼女の勉強を手伝っている。
もちろん、自分の勉強をおろそかにする訳には行かないので私自身も問題を解きながら工藤さんの疑問にヒントを出す形をとっている。
でも、そんな疑問を持っている私は工藤さんを眺めている時間のほうが長くて自分に課した問題が全く解けずにいた。
「二階堂さぁん……」
工藤さんの小さな呼びかけに反応した私は工藤さんの前で解答が止まっている問題を指差す。
「この問題はね……この部分に数式を代入しないと解けないの。ヒントは……」
あくまでヒントだけ話して工藤さんが自力で解けるのを待つ。
「あ……そうかぁ、だったら、ええと」
ヒントに反応した工藤さんがカリカリとシャーペンを走らせる。
「出来たぁ!二階堂さん見て見て」
それからしばらくして今度は工藤さんの大きな声が響く。
「どれどれ……正解よ」
「本当、やったぁ!」
私の声に工藤さんがニコニコ笑顔になって小さくガッツポーズを作る。
「あの数式の使い方が全然わからなかったんだぁ、一つ賢くなったよ」
「そう、よかったわね……ところで」
大喜びの工藤さんにずっと気になっていることを思い切って聞いてみる。
「工藤さんはどうしていつもそうやって笑顔でいられるの?昨日だって私がひどい態度を取ったのに……」
「へ?笑顔の訳……そんなの簡単だよ」
一瞬きょとんとした表情になった工藤さんだったが、すぐに笑顔に戻ってその理由を話してくれた。
「だって、怒った顔より笑顔の方が相手にも、自分にも幸せがくるような気がするから」
自分自身では考えたことのない答えに私は黙って小さく頷く。
そうか、そうなのだ。
納得して今度は大きく頷く。
今までの私は余裕がなく、考えるのは勉強の時間や効率の事ばかり。
受験生だからって笑顔を見せることも忘れていて。
「工藤さん、ありがとう……それと、ごめんなさい」
今出来る精一杯の笑顔を作って工藤さんにお礼を言う。
「謝る事なんかないよ、それより二階堂さん今すっごく良い笑顔しているよ」
工藤さんの言葉に何だか気持ちが温かくなってくるのを感じる。
「あ……」
さっきから解答の糸口すら見つけられなかった目の前の問題が急に自分の中でほぐれ始めてきた。
「ちょっと待ってね、これ解いちゃうから」
笑顔を忘れないように!と自分に言い聞かせながら一言工藤さんに断って、自分の世界の中に入って問題を解き始める。
「おまたせ」
問題が解けた時、悩んでいた勉強の事も解決できる確信を持った私はその間じぃっと見つめていてくれた工藤さんにもう一度微笑んだ。
「二階堂さん遅くまでありがとう!おかげさまでとっても賢くなったよ」
工藤さんがニコニコ笑顔でお礼をくれる。
「私の方こそ工藤さんに大切なことを教えてもらったわ、ありがとう」
私も笑顔で返す。
「あー、それにしてもお腹すいたぁ」
結局閉門するまで私たちは勉強を続け、外に出たときにはあたりはもうすっかり暗くなっていたのだ。
「そうね……そうしたら」
私は考えていた提案を口にする。
「クリスマスパーティーに何を作っていくかパフェでも食べながら相談しない?」
途端に工藤さんの笑顔がはじける。
「二階堂さんパーティー来てくれるんだ、良かった」
そんな笑顔に幸せを貰いながら私も幸せを返すように笑顔をみせてうなずく。
「早くパフェ食べに行こう!」
工藤さんがバタバタと走り出す。
「あ、ちょっと待って」
私も慌てて走りながら相手のために、また自分のために幸せが来ますようにと笑顔で願った。