パタン、と音を立てて携帯電話を折りたたむ。
何度チェックしてもメールの新着を告げないディスプレイ。
「んもぅ、どうしちゃったのよ!」
役に立たない携帯をポケットに放り込んで誰もいない右側に文句を言ってみる。
「はぁ……いままでこんな事なかったのに」
誰もいない右側に今度は悲しい気持ちを言ってみる。
彼と喧嘩したのは2日前。
でも、喧嘩をしたのが初めてしたって訳じゃない。
だって、付き合い始めたのはずうっとずうっと前の中学生の時の卒業式。
だから、もうカレシとは10年近くラブラブ状態が続いている。
周りがあきれちゃうくらいラブラブなのだけれど、小さな喧嘩はしょっちゅうしていて。
私のわがままに彼が切れちゃったり、何にもしてくれない彼に私が切れちゃったり……。
でもたいていは喧嘩しちゃったその日か、次の日くらいにはもう大丈夫。
「謝らなくっちゃ」って思ったほうが「ゴメンネ!」ってメールを入れて、喫茶店で待ち合わせ。
で、好きなものをご馳走してあげたらもう仲直り成功。
高校時代から何回彼にプリンアラモードをご馳走してもらったかわからないし、何回彼にアロエヨーグルトをご馳走したかわからない。
それくらい沢山喧嘩して、沢山仲直りして。
そうやって少しずつラブラブを強くしていったの。
学校を卒業して、お互い仕事をするようになってからはお店が喫茶店からカクテルバーに変身。
注文メニューもお互いの好きなものではなくってお店のオリジナルカクテルに。
『Love Love Sugar』って名前のカクテルなのだけれど、大振りのグラスに入っているのはたっぷりピンク色のカクテルに染まったカキ氷。
上にはハート型をしたチョコレートが乗っている。
それは名前の通り本当に甘いカクテル。
2本のストローで一緒に飲めばすぐに甘い甘〜いラブラブカップルに元通り。
だから、今回も『Love Love Sugar』で仲直りしよ!
そう思って「ゴメンネ、いつもの『Love Love Sugar』ご馳走するから明日19時にお店でね」って昨日メールを入れておいたのに。
「返事が来ないって初めて……どうしちゃったのかなぁ?」
もう一度カバンから携帯電話を取り出しても、ディスプレイは変化なし。
都合が悪いからってお詫びの日が変わったことはあったのだけれど、返事がなかったことはいままでない。
今回の喧嘩が今までにないような大喧嘩だったって訳じゃないし……。
くよくよ考えながら一人で歩くのってサミシイし、何だかいつもより寒いなぁ。
ロングコートにマフラー、足元はロングブーツ。
彼にプレゼントしてもらった帽子だって中学生の頃からトレードマークにしているツーテールの間にちゃんと収まっている。
寒さなんて考えられないいつものファッション。
理由はやっぱり一つだけよね。
「彼が隣にいないとこんなに寒いんだぁ」
だから、だから少しでも早くゴメンネを言って仲直りしたいのに。
そう思って握り締めた携帯電話で彼の番号をプッシュする。
「……電源入ってない……」
メール来ない訳よね。
ガッカリしてカバンに放り込んだ携帯電話を取り出すことはもうなかった。
どうして電源切っているのだろう?
まさか……とかあれこれ考えながら歩いていた私はいつの間にかお店にたどり着いていた。
雑居ビルの地下にある小さなカクテルバー。
階段を下りていくとお店に合わせるような小さな小さな看板と重たそうな木製の扉が迎えてくれる。
「レス忘れちゃっただけでもう来ているかも……」
そう期待しながら扉を押す手に力をこめる。
「いらっしゃいませ」
穏やかな中年のバーテンダーさんがしっとり落ち着いた声で迎えてくれる。
でも、彼はそこにいなかった。
「後でもう一人来ます……」
ちょっと不安をこめて告げるとバーテンダーさんが隅の席に無言で導いてくれる。
そっと席に着くと無言のままバーテンダーさんは他にいるお客さんに呼ばれてカクテルの注文を受けていた。
もう何度目になるだろう?
何の変化もない携帯電話のディスプレイを見つめるのは。
あれからずうっと注文もしないまま彼を待っているのに、彼の姿が現れることもなければ携帯に変化もない。
だんだん鼻の奥がツンとしてきて、のどが乾いたようにヒリヒリしてきたような感じがしてくる。
泣いちゃいそうな気持ちに慌てて携帯電話を取り上げるとストラップについている小さな鈴がかすかな音を奏でる。
これは、先週日曜日のデートのときに彼にもらったばかりのプレゼント。
「はい、出張のお土産」
土曜日まで出張していた彼が買ってきてくれた可愛らしいストラップ。
サンキュ!って早速携帯電話に取り付けて、よく見たら彼の携帯にも同じストラップがついていて。
携帯電話を軽く振ってかすかに奏でられる鈴の音に耳を傾けるとその日の楽しかったデートの光景がフラッシュバックしてくる。
「一緒に見た映画、感動したなぁ」
「ボウリングで負けちゃったのは悔しかったけど、彼のターキーかっこよかったなぁ」
「最新のあの曲歌えてラッキーだったなぁ」
「ご飯食べながらしてくれた彼の出張のお話し楽しかったなぁ」
見つめていた鈴がぼうっとにじんできて、私は慌ててハンカチを取り出す。
バカだったな、どうしてあんなつまらないことで喧嘩しちゃったんだろう?
どうして、彼は仲直りに来てくれないんだろう?
ハンカチを目元に押し当てて少しの間声を殺して泣いてしまった。
もうお店に入って30分もたっちゃった……。
暫くの間こそこそ隠れて泣いていた私ははっと我に返ってバーテンダーさんに声を掛ける。
「すみません、オリジナルで何か作ってください」と。
注文もしないまま泣いているだけじゃお店に迷惑だし、それに……。
「彼が来てくれないんなら、いつまで待っていてもしょうがないし」
寂しさをこめてそっとつぶやく。
最初の一杯は彼と一緒に『Love Love Sugar』の予定だったけれど、でも……。
「お待たせしました」
そんなことを考えていた私の前にグラスがそっと置かれる。
「え?これって……」
私は思わず抗議のこもった声を上げてしまう。
出されたカクテルは大振りのグラスにたっぷりのかき氷が入っていて。
そのカキ氷がピンク色に染まっている。
彼と一緒じゃないんだから『Love Love Sugar』なんて飲めない……。
「違いますよ、お試しください」
そんな私にバーテンダーさんは穏やかに首を振る。
何が違うんだろう?そう思ってよくよくグラスを眺めると確かにいつもと違うことに気づく。
ピンク色だけのカクテルかと思ったら、底の方は薄い色になっているし、最後に恥ずかしがりながら二人で一緒に食べるハート型のチョコレートも乗っていない。
そこまでを確認してストローに口をつける。
「苦い……」
薄い色をした部分を口に含むとドライジンの苦い味がいっぱいに広がる。
「まるで、今の気持ちを表しているみたい……」
穏やかな表情のまま見つめているバーテンダーさんにそう告げると少しだけ笑みを浮かべて「そのまま、もう少しお召し上がりください」という返事。
言われるまま苦いカクテルをストローで吸っていくと、それは突然訪れた。
「あ……!」
苦いだけだったカクテルが、急にいつもの甘さを取り戻したのだ。
「『Bitter&Love Love Sugar』です」
にこやかな笑みがそう告げる。
「始めのうちは苦く感じても、だんだんと甘さを取り戻す。そんな気持ちをカクテルに込めてみました」
そんなバーテンダーさんの言葉に頷きながらすっかり甘さを取り戻したカクテルを口にする。
カクテルの甘みが鼻の奥の悲しい刺激や、こそこそ泣いていてからからに渇いていたのどをしっとりと潤してくれて、穏やかなやさしい気持ちになっていく。
「おいしかったです」
グラスを乾してから感謝の言葉を伝える。
「ありがとうございます。それでは、そろそろいつものをお作りしましょうか?」
穏やかな物腰はそのままにバーテンダーさんが問いかけてくる。
「えっ?」
思っても見ない言葉にびっくりした声を出してしまう。
「大丈夫ですよ。ビターの後にはちゃんと甘さが戻ってきますから」
バーテンダーさんがそんな言葉を私にくれたそのときだった。
バン!
静かなお店には似つかわしくない荒々しい音を立ててドアが開かれると、そこにはゼイゼイと息を切らせながら駆け込んできた大好きな彼の姿があった。
「……ばかぁ……」
さっき潤したはずののどがまたヒリヒリ渇いてささやくような声になってしまう。
「ゴメン!」
ゼイゼイと荒い息遣いはそのまま私の隣に座っても続いている。
「喧嘩して帰ったら急に頭が痛くなっちゃってさ」
「丸2日ずっと寝ていて」
「何とか起き上がれたのがついさっきで」
荒い息遣いのまま彼の言葉が続いていく。
「携帯はいつの間に電池切れしているし、充電しながらメールチェックしたら……本当にゴメン!」
そういって大げさに頭を下げる彼。
「本当は私がゴメンネを言う日だったのに……でも来てくれてよかったぁ!」
彼の素振りに大笑いする振りをしながら嬉しさににじんだ涙をそっと拭う。
頭を下げていた彼も「あ、そうだった」って感じで苦笑い。
暫くそうやって照れくさい笑みを二人で浮かべた。
「あ、スイマセン。いつもの『Love Love Sugar』作っていただけますか」
ひとしきり笑みを交し合った後、彼がバーテンダーさんに声を掛ける。
「あ……ちょっと待ってください」
にこやかな笑みで頷こうとしたバーテンダーさんを呼び止める。
「その前に、彼に作ってあげてください。『Bitter&Love Love Sugar』を」
「え?それ新しいカクテル?」
私の注文に彼が首をひねる
「そう……とっても美味しいカクテルよ。バーテンダーさん、特別にBitter多めにしてあげてくださいね!」
「かしこまりました」
バーテンダーさんはにっこり微笑んで頷くと私の気持ちを作り始めた。