改札を抜けると、仕事の疲れが帰ってきた安心感に変わる。
やれやれ、今日も疲れたな……。
ホッとため息を一つついてから携帯を取り出して掛け慣れた家の番号をプッシュする。
「もしもし……あ、遊季か。お母さんは?」
電話口に出たのは下の娘。
「お父さん。今どこ?え?もう駅についてるんだ!」
弾むような娘の声が疲れを吹っ飛ばしてくれる。
「よかったぁ!お母さんもお姉ちゃんもいなくって、一人で夕ご飯食べなきゃいけないかなぁって思ってたんだ。早く帰ってきて!」
おやおや、遊季しかいないのか。
たまには二人でディナーも悪くないなと家に向かう足を早めつつも、途中のケーキ屋さんに立ち寄って娘の大好物にしているプリンを購入する。
昔から、そうだったなぁ。
赤信号に歩を止めた時、ふとお土産の入った箱に視線を送りながらちょっとだけ思い出し笑いをする。
お土産にプリンを持って帰ると遊季のご機嫌が良くなることに気付いたのはいつくらいからだったであろうか?
急な休日出勤になって遊園地の約束をドタキャンしてしまった時も、姉妹ゲンカしていて大泣きしている時でもお土産にプリンがあると途端に機嫌が良くなってニコニコする。
そんな魔法のようなスイーツを娘とのコミュニケーションツールとして昔から重宝している。
今日も喜んでくれるだろう。
そんなことを考えながら足止めを食った横断歩道の信号が青に変わった瞬間に少しだけダッシュをかけた。
「お父さんお帰りなさい!」
バタバタと娘が駆け寄ってくる。
「ただいま……あれ、何か良いことでもあったのかな?」
駆け寄ってきた娘の表情がいつも以上にニコニコと上機嫌なことに気付く。
「ん、ふふーん。ちょぴっとね」
ご機嫌が表情に明るく表れる愛らしくて元気な娘にこちらの気持ちも明るくなってくる。
「あ、食後のデザート買ってきたよ」
「わぁ、やったぁ!」
定番となっているケーキ屋さんの箱を見た娘の表情がますます明るく輝く。
「それより、二人はどこに行ってしまったんだい?」
何故遊季しかいないのか理由を聞いてみる。
「あれ、忘れちゃったの?お母さんはいつもの食事会よ」
「ああ、そうだったね。言われていたの忘れていたよ」
ご近所の仲良しと定期的に行っている食事会だったか。
「で、お姉ちゃんはデート」
遊季が続ける。
「今日ホワイトデーで、カレシにご馳走してもらうんだって」
あ、今日はそんな日だったのか。
そう言えば会社でもそんな話題が出ていたっけ。
ん、もしかして遊季の機嫌がいいのはもしかして……。
ふとそんなことを考えて娘を見る。
「あれ、お父さんどうしちゃったの?おかず温めなおすから先にお風呂に入っちゃったら?」
「そうだね、そうしようか」
ちょっと慌てながらプリンの入った箱を娘に渡す。
「あ……」
その時、娘の髪が揺れて、シャンプーの香りが鼻をくすぐる。
「遊季はもうお風呂入ったんだ?」
声が喉にひっかかるのを感じながら聞いてみる。
「うんっ!今日は汗かいちゃったし、一人だったから先にお風呂入っちゃったんだ」
「そっか。じゃあお父さんも入ってくるよ」
何だかドキドキするのを感じながら風呂に入る準備を始めた。
風呂からあがると、シチューの良い香りが漂うキッチンに向かう。
「を、今日はハンバーグとシチューかぁ」
「あ、お父さん。ナイスタイミング!」
ハンバーグの乗ったお皿をテーブルに運びながら娘が笑顔で迎えてくれる。
「それじゃあ、食べようか」
言いながら冷蔵庫から缶ビールとオレンジジュースを取り出す。
「お父さんありがとう!」
ご飯とシチューをよそってくれた娘にオレンジジュースを渡すと、元気な声が返ってくる。
「いただきま〜す!」
娘が差し出したオレンジジュースの缶に缶ビールをカツン!とぶつけてディナー開始。
「おいしいね、お父さん」
「そうだね」
ハンバーグ、クリームシチュー、グリーンサラダの夕食に舌鼓を打ちながら、娘とのおしゃべりに花を咲かせる。
「遊季は高校に行ったらクラブ活動はどうするんだい?」
「う〜ん、今考え中。ソフトボールもいいんだけど、バスケットも面白そうだし」
「迷うにしても運動部かな?」
「うんっ、身体動かしたいから運動部には入ろうと思っているんだ」
「バスケット部も楽しそうだね」
「でしょう!今度行く高校バスケット強いみたいだからそれもいいかなぁって思っているんだ」
「でもね、制服が普通のセーラー服なのがちょぴっと地味かなぁ」
「この前買いに行った時似合っていたよ。遊季のセーラー服姿」
「本当?セーラー服似合ってた?」
「もちろんだよ」
「よかったぁ〜」
公立高校への進学を決めた娘とつい先日一緒に制服を買いに行ったばかりなのだ。
「あ、そう言えば飛行機取れたよ」
「本当?楽しみぃ〜」
「お父さんも九州はあまり行かないから楽しみだよ」
「そう言えば最初に泊まるホテルの近くに水族館があって、水槽の下から見学できるコーナーがあるんだって。行きたいなぁって思っているの」
「そんな所があるんだ。いいね、行こう」
「やったぁ!それでね……」
いつも行っている夏の家族旅行に加えて、今回は娘の高校進学を記念して九州に三泊四日の家族旅行に行くことにしているのだ。
「今日は、いつも以上に笑顔が輝いているように見えるな」
旅行の計画を楽しそうに話す娘を見つめながらふとそんなことに気付いて、先ほど考えたことを思い出す。
それは、もしかしたら遊季にもホワイトデーにプレゼントをくれるようなカレシが出来たのではないかという思い。
帰ってきたときの、いやこのディナーでもずぅっと上機嫌な娘の姿にその思いを強くして、胸がざわつく。
そりゃあ遊季だって中学を卒業して来月から高校生なのだし、ボーイフレンドくらいいても不思議はないよな。
こんなにかわいく育ったのだから……と親バカ丸出しな感情を入れながら考えを巡らし、残り少なくなったビールをぐいっと飲み干す。
今日はホワイトデーかぁ……。
「お父さん急に黙っちゃってどうしちゃったの?」
「あ、ああ。ごめんな」
カラになったビールの缶を片手にそんなことを考えていた私は娘の声にハッと我に返る。
「お父さんもう一本ビール飲もうかな。遊季はもうプリンにするかい?」
先ほど考えていたことを照れ隠しするように冷蔵庫の前に立つと声をかける。
てっきり賛同の声が返ってくると思っていた私にとって、娘の返答は思っても見ないものだった。
「あ、お父さん。プリンの前に一緒に食べて欲しいものがあるんだけど」
そう言いながら娘がテーブルの上にバスケットを置く。
バスケットには不揃いの形をしたマシュマロが山盛りになっていたのだ。
やはり、そうだったのか……。
先ほどからずっと思っていたことがどうやら正解だったようで何となく身体の力が抜けて、急にビールの酔いが回ったような感覚になる。
それでも娘に悟られないように席に戻ると一つマシュマロをつまんでみる。
「うわ、甘いなぁ」
まるで砂糖の塊を食べたかのような甘さに思わず言葉が出る。
「すっごく甘いでしょ?」
ポーンとマシュマロを口に放り込んだ娘が笑顔で聞いてくる。
「そうだね……こっちのはずいぶん変な形をしているね」
二つ目に手にしたのは先ほどのとは打って変わって大きくて不細工な形をしている。
「しょうがないわよね、手作りなんだから」
バスケットのマシュマロを突っつきながら娘が幸せそうな表情になる。
こんな大人びた良い表情をするようになったのだな。
いつまでも子供だと思っていた娘の表情についにこの日が来たのだなぁと改めて実感する。
「遊季にもステキなボーイフレンドが出来たみたいだね」
心の動揺を精一杯押さえながら聞いてみる。
「うん……」
はにかみながら頷く娘に胸がズキンと痛むのを感じる。
もちろん、いつまでも自分の手の中においておくことが出来ないのは解っている。
それでも、現実を突きつけられるのはきついものだな、と感じる。
上の娘にボーイフレンドが出来た時には感じなかった気持ち。
あの時は、まだ遊季がいてくれたからなのだろうな。
そう考えると何とも言えない寂しさもまた感じてしまう。
「あのね、お父さん……」
幸せそうに彼の話を報告してくれる娘に頷きながら、先ほど手にした大きくて不細工なマシュマロを口に入れる。
砂糖たくさんのマシュマロが、まるでビールを飲んでいるかのように苦く感じた。