久し振りにたどり着いた街で、私を出迎えてくれたのは雨降りだった。
出張先の雲一つない晴れ空を妙に懐かしく感じながら、青い傘を購入、傘を開く前にチラリと時計に目をやる。
「まだ早いよなぁ」
仕事の都合で予定よりはるかに早い時間に到着できたのだが……と独り言。
降りしきる雨を眺めながらどうしようか?と考える。
学生が大挙して帰宅している夕方前のこの時間では家には誰もいないであろう。
しかし、この雨の中大きな荷物を抱えて時間つぶしをする気にも今一つなれない。
「帰るか……」
そう決めて買ったばかりの傘を開いた。
歩き始めて気づいたのだが、傘を持たずにバシャバシャと音を立てて走って行ったり折り畳み傘に3人位が寄り添っているため皆濡れてしまいながら歩いて行ったりしている学生のなんと多いことか。
どうやら、急な雨降りだったみたいだ。
思った以上に大きな音を立てて傘に当たる雨音をBGMに歩きながら二人の愛娘に思いをはせる。
「持っていっている訳ないよな」
性格を考えながらそう結論づける。
まぁ、要領良く誰かの傘に入れてきてもらうだろうとは思いながらも、濡れねずみになって帰ってくるかもしれないなぁということも考える。
「家に帰ったらお風呂を沸かしておいてやるか」
夕食前の時間つぶしにはちょうど良かろうと決めて歩くスピードを少し速めたときだった。
「あ……」
前方を歩いている傘の中にいる女の子が下の娘であることに気づいたのだ。
娘がお気に入りにしているぬいぐるみがバッグにぶら下がっており、間違いないと教えてくれる。
「おー……」
声をかけようとしながら慌てて口を閉ざす。
なぜなら、傘の中には娘のほかにもう一人、私の知らない男の子がいたからだ。
『もしかしてボーイフレンド……?』
娘の秘密に触れてしまったような罪悪感が私を黙らせたのだ。
このまま後をついていくわけにも行かないし、どうしようか?
そう考えようとした瞬間だった。
「あっれー?お父さんこんなに早くにどうしたの?」
背中にかけられた声に敏感に反応して振り返ったのは、予想通り下の娘、遊季だった。
「ああ、遊季……仕事が順調に終わったから予定より早い飛行機で帰ってきたんだよ」
まだ心の隅にある罪悪感が言葉を今一つ歯切れの悪いものにしてしまう。
「ちょうど良かったぁ!傘入れていって!」
言うやいなや私の傘に飛び込んでくる。
「ここまでサンキュー。ここからはお父さんと帰るから、じゃあね」
右手をヒラヒラと振ると、あっけに取られている男の子に背を向ける。
「お父さん、行こうっ!」
あっけにとられたまま呆然と立っている男の子をちょっと気の毒に思いながらも歩き出した娘が雨に濡れないよう同じペースで歩き出した。
「朝はすっごくいい天気だったの。傘持っていくなんて考えられなかったわ」
「いっきなり降り出したのよぅ!今日は部活で紅白戦の予定だったのに、中止になっちゃった」
「このごろ調子が良かったからホームラン狙ってたのに、もぅ!」
傘の中で娘が一方的にしゃべっている。
そのテンポの良さを心地よく感じながら相槌を打つ。
はっきり言ってウチの親子関係はすごく良好であると思っている。
遊季だって中学三年生、一般的な家庭なら父親と話をすることなど嫌がると思われるのだが、普通に会話をしてくれる。
「あ、そうだお父さん。今年の夏休みの旅行どこに連れて行ってくれるの?」
急に話が振られる。
「う〜ん、そうだなぁ。今年は思い切って飛行機で北海道にでも行ってみようか?」
「北海道?いやったぁ!」
私の答えに喜びを爆発させている。
毎年夏休みを使って出かける家族旅行。
そんな紺野家の習慣も仲が良いから出来るのかなぁと思っている。
「それより……」
Illustrated by pingpong TAMADA for Tornado Punchers 21
旅行の話に喜んでいた娘がこちらを見つめると傘を持つ私の手をいきなり握ってくる。
「もっと近づかないと濡れちゃうわ。こっちまだ寄っても大丈夫よ」
「あ……」
その時、妙に恥ずかしいような感情が心臓の鼓動をドキドキと音を立てて打たせる。
「あ、ああ……そうだね」
まるで自分自身が中学時代に戻ったかのような感情。
照れながら娘の方に目を向ける。
(あれ、遊季ってこんなに大人びた表情をしていたっけ?)
まだ子供だと思っていた娘に大人を感じた瞬間であった。
「まだ時間も早いし、喫茶店にプリンでも食べに行こうか?」
照れ隠しをするように持ち掛ける。
「プリン?行く行くっ!じゃあ駅前の『ロンロン』に戻ろう!新作のプリンアラモードがあるの」
大好物に表情を崩す様はやっぱり子供で、少しだけ安心する。
「じゃあ、行こうか」
傘を一緒に握っている手をそのままに私達は駅前商店街に歩く方向を変更した。
「準備出来ました。お父さんお願いします」
ぼぅっと想いを巡らせていた私ははっと我に返って小さく頷く。
傍らには花嫁衣裳に身を包んだ遊季の姿が。
あの雨の日から幾年が過ぎ、今日は遊季の結婚式。
可愛くてやまない娘が遂に自分の元から離れる日が来ることになったのだ。
披露宴のお色直しの後、遊季と私とでコラボレイトする最後のイベント。
私は渡された傘を開くと、遊季のほうを向く。
照れくさそうに、そして嬉しそうな表情を見せながら遊季が傘を持つ私の手を握り締める。
このまま待っている彼の元へ二人で歩き、傘と一緒に娘を彼に託す。
娘と一緒に行う最後のイベントだ。
巡り巡る思い出の中でも強く印象に残っているあの日の相合傘。
このイベント自体は娘達が選んだ偶然のものであったが、私にとっては嬉しいことであった。
そう、あの時娘が相合傘で帰っていた男の子。
彼が今、新郎席で娘を待っているのだ。
あの時娘が強引に私にくれたバトン。
それを今こそ彼に返すことが出来る。
偶然に強く感謝の念を抱きながら扉の前に立つ。
扉が開くまでの刹那、私は娘に問い掛ける。
「遊季が中学生の時、相合傘したの覚えているか?」
「うん……はっきり覚えているわ。あの時はもう彼が気になる存在になりつつあって、相合傘できたのは嬉しかったのだけれど、妙に恥ずかしくなっちゃって。お父さんと会えてホッとしたのを覚えているわ」
すっかり美しくなった娘ははにかみながら答える。
「お父さんもあの時彼からもらったバトンをいつか返せないかなぁ?と思っていたんだ。
このイベントに感謝するよ」
そう言うと今までこちらを見ていた娘が急にそっぽを向いてポツリと「今までありがとうございました、絶対に幸せになります」とつぶやく。
「うん……うん。さぁ、行こうか」
私は零れ落ちそうな涙をグッとこらえると、彼にバトンを、そして娘を託すべく拍手が鳴り止まない会場へ向かって娘と一緒に歩き出した。